『 静かな朝の光り 』

 

 

 

 先日、Ann. net の秋の大オフ会に参加しました。いつもながら、多士済々、楽しい集まりです。

その席で、Tさんに 「ところでnakataさんは、山には登らないの?」と質問を受けました。「登りますよ」と答えてハッと思い出すことがありました。それは山登りから得ためったにない貴重な体験でした。僕の人生の ”ターニングポイント” とも言えるモニュメントでした。

 そしてその出来事はちょうどこのオフ会とおなじ10月22日前後に起きたことでした。僕は僕の頭の上のほうにおいでになるどこかのどなた様に、『オイッ、あの時のことを今、もう一度思い出せ!』と頭をコンと叩かれたような気持ちがしました。

これは書きとめておこう、忘れないために、そう思いました。

 

 当時そのころ、僕が現役のフリーカメラマンだったころ、北海道の札幌時代、10年間追いつづけていたひとつのテーマに、終わりを告げさせた。自分なりに「やったっ!」と納得して、いったん、バイバイした。次のモチーフはすでに心に決めていた。自然・風景の写真をやりたい。イメージの構築もほぼ決まっている。ただテーマづけが、いまいち、弱い。なんのために自然・風景の写真をやるのか、どのような意味を持たせるのか、何を伝えたいのか、悶々とした日々のなか、北海道の尾根、大雪の 山のなかを彷徨(さまよ)っていた。

 

 その年の10月20日、今年最後の大雪山をめざしていた。11月の大雪は本州の3000m級の厳冬期の山に匹敵する。しかもほとんど吹雪となり、人を寄せつけない。僕はひとり冬景色の御鉢平を見ておこうと黒岳からのルートを石室の小屋をめざしてのぼっていた。同行者はいない。出発の時からいやな曇行きだった。とうとう黒岳頂上をこえたあたりで猛吹雪となった。

 

 ほんの数メートル先が見えない。道がどんどんかき消されていく。砂のようにかたい粉雪が頬にあたっていたい。膝から下で雪を蹴っ飛ばすようにして歩く。寒さで手足の感覚がなくなってきた。ここで倒れるか、石室に着くか、時間との追っかけっこになった。

 なんとか小屋に着いた。小屋は冬支度がされている。二階の窓の雪をかき分け止め板をはずし、小屋の中に転がり込んだ。凍れた指でガスボンベに火をつけた。指先が少し暖かくなったら逆に全身が寒さにぶるぶると震えてきた。そとはまるで屋根の上を3重連の蒸気機関車が猛スピードで突っ走っているようなごうごうとした吹雪だ。すこしづつ恐怖心がつのってきた。

 

 濡れた下着を脱いで、簡単な着替えをして、寝袋の中にもぐりこんだ。ガチガチと歯の根があわない。たまらず起きだして小屋の中にテントをたてた。なかなか身体はあたたまらない。意識があるのかないのか、ウトウトするうち眠ってしまった。

 目が醒めた時、真っ暗だった。夜だろう。そとはまだ3重連の蒸気機関車が走りつづけていた。地響きがしていた。目をあけても目をつぶってもおなじ真っ暗だった。一条の光も何も見えない真黒の暗闇、フィルム現像の真暗室の暗さとはちがう。小屋が石棺室に思えた。生きたまま棺桶に閉じ込められたことを想像した。またすこしづつ恐怖がよみがえってきた。

 

 どれほどの時間が過ぎたのだろう。これほどに時間の歩みが遅いとは想像だにしなかった。僕は本当の死人のように身じろぎひとつしないで、暗闇の一点を見つめていた。これがほんとうに棺桶に生き埋めになっているのなら、どうしよう? 窒息死するんだろうか、餓死するんだろうか。猛吹雪は続く。妄想も続いた。空腹なはずなのに食欲はない。眠りたいはずなのに心臓の高鳴りだけが耳に就いて眠れない。夜が続く。

 

 ふと、目が醒めた。明るかった。朝なのか昼なのか、僕は時計は持たない。まだ吹雪は続いていた。いっこうにおさまる気配はなかった。ごそごそ寝袋から抜け出しテントからでた。疲れがあるのか身体が重い。隙間から入った雪が小屋の隅々につもっていた。その雪を食べてのどの乾きをしめらした。

 えいっっと覚悟を決めて外へ出た。雪が全身にぶちあたってくる。おしっこをする短いあいだも寒さは我慢できなかった。窓から転がり落ちるようにして小屋に戻った。リュックから乾パンをとりだして寝袋に入った。水気もなく乾パンをボリボリ喰った。食べている途中で疲れが出てきてまた眠ってしまった。深い眠りだった。

 ふたたび目が醒めた時、明るかったが先程の明るさとはちがう。夕方だろう。少し楽になった。身じろぎしないで又一点を見つめていた。暗くなってきた。あの長い夜の闇が恐ろしかった。長い。時間だけが本当に長い。

 

 もう食料はなくなった。水は何とかなりそうだ。一週間も続く吹雪もあるまい。でもいつ晴れるのか。

 

 思えば天罰だった。山の怖さは知っているといいながら、写真機材は万全にしても、そのぶん山の装備や食料をおろそかにしていた。たかをくくっていた。撮影態度にしてもそうだ。どこかにおもしろいカットはないか、絵になりそうな風景はないか、かすめ盗ることしか考えていなかった。山に慣れ親しんだか、ああ気持ちいいなあとか、幸せだなあとかおもって歩いていたか。こんなことでは本当の自然の姿なんて観れるはずがない、感じられるはずがない。万事余裕がなかった。やりなおしだ。一からやり直しだ。まず、自分の人間性から見つめ直しだ。自分のごう慢な姿勢からあらためなおそう。

 

 眼が醒めた。この明るさは朝の光だ。静かだ、静かな朝の光だ。僕は止め板をはずし、雪をかき分け、外へ出た。晴れている、雲ひとつない大快晴だ。

 

 あたたかいっ。お天道様の光があたたかいっ。僕は急いで荷造りをして、下半身まで埋まる雪をこぎこぎ、御鉢平が一望できるポイントをめざした。

 

 見えたっ!大気の中にちりひとつもない澄み切った風景、空の青さと雪の白だけ、いま生れたばかりのような御鉢平、輝いている、眼も眩むばかりに輝いている。

 

 僕の大雪、いまこの一瞬、僕だけのための大雪。ほほを伝う涙、こみ上げる嗚咽。その時、何かを肌に感じた。何かが僕を包んだ。あれは、山の冷気が霊気に変わった瞬間。ありがとうございます。お教えを一生心に抱いて生きていきます。僕は山に深く一礼をした。

 

 僕は山を下りた。家に辿り着いた。一週間ほど誰とも逢わなかった。口を開かなかった。言葉を発しなかった。それが山に対する礼儀だと思えた。

 

 今日、このように人に伝えても山は怒るまいと思う。あの時の山の霊気は今も僕を見守ってくれていると思う。

 

 

terry-nakata

 

 

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