それでいい
そのままでいい
これまでどおりでいい
なんのかわりがあるものか
そうやってここまで来たんじゃないか
だからいい
もういい
いいんだ
なんのわだかまりがある
よーく自分を見てみろ
それを忘れるな
忘れてはならないことがあるだろう
そうだろう
しっかりしろ!
このままでいいんだ
てりー はい
コメントをお書きください
fumifumi (水曜日, 26 2月 2014 13:06)
生き方に決まりはない まじめに、人様に迷惑を掛けないように、生きなさい と 両親は教えてくれた でも人と関わらない人生なんて無いだろう だからこれからも周りに迷惑を掛けながら生きていく
中田輝義 (水曜日, 26 2月 2014 20:45)
fumifumiさんへ、 僕の独白のような一文にレスポンスをいただき、 ありがとうございました。 てりーはい
るりるり (木曜日, 06 3月 2014 17:48)
日増しに強くなる 痛みとしびれに恐怖を抱き 家族でさえ どうしたらいいか わからず ワタシは独りで 限界に達する直前まで、正体不明の病気に翻弄されました。 そんな昨年秋。テリーさんのコトバに 何度も救われました。 テリーさんのコトバがなかったら 今の流れに乗れていなかったと思います。 本当に感謝しています。 現在も 開業医の先生の所へ通いながら治療を続けています。 痛みは 緩和されてきました。その分、お薬の副作用も強いので 今はお家の中で過ごす生活へ 切り替えましたが、納得しています。 空を見ると テリーさんとおそろいのキモチになれます。 日々、テリーさんのお具合を 案じています。 今日も つながっていてください。 るりるり
中田輝義 (金曜日, 07 3月 2014 14:52)
るりるりさんへ、 コメントを拝受・拝読しました。 ありがとうございました。 今、ここ、熊野の郷を取り囲む山々の風景は、三月の陽光に照らされて、木々の先の新芽が芽吹きはじめ、遠目に見ると山全体が淡白いうす緑色に変わってきています。待ちに待った春の訪れを告げているのでしょうか。 でも、いったん暖かい日がつづいてまた冬の寒さに逆戻りすると、僕の体調には追いつかず、身に堪えます。 北国ではもうフクジュソウは咲き始めているでしょうか。雪解けの湿地ではヤチブキの花が見れるでしょうか。うす暗い沼地にひときわあでやかに咲き誇るこれらの黄色い花びらは、目に痛いほどの鮮烈な光彩を放ち、それはまるで、長い冬のあいだ、雪の下でじっと寒さに耐えてきた生命力を、一気に大空に向けて解きはなっているようです。 同じように蕗の薹(フキノトウ)も雪の下で丸いかわいらしい蕾(つぼみ)ふくらませて春の準備をしていることでしょうか。 北国で先ず一番に春が来たなと教えてくれるのは、こぶしの木の白い花が咲き始めたときでしょう。ここ熊野の山々にもこぶしの木の白い花を咲かせます。今年もなんとか冬を乗り切った。 山の中腹あたりにちらほらと白い花を咲くのを眺めていると、本当になつかしくて、うれしくて、ありがたい気持ちにされられます。 フクジュソウとヤチブキが森の妖精なら、白いこぶしの花は山の精霊なのでしょうか。 この世界はこのように天然・自然の理に従って動いている。 そして季節は移り変わる。 移り変わるのが当たり前なのに、僕は季節の変化に順応できないでいる。気分としてまるで季節の変化に翻弄されているかのように、その日のお天気次第で体調がころころと変わる。筋肉が動きづらく全身の関節炎が痛くて、倦怠感と脱力感で室内温度が上がる昼近くまでベッドから起き上がれない。くそ面白くない。 ”あれ”をやっておかなれけば。”これ”の準備もしなれれば。ああもしたいし、こうもしたい。それらがみんな思い通りにならないもどかしさ。遣り残したままで逝くのなんて絶対にイヤだ。でも身体も気力もついていかない。クソッタレだ。 でもこんなときに思う。年を取ること、老いること。だんだん出来なくなることが増えること。これも天然・自然の摂理だ。しかたがない。受け入れるしかないんだ。 そしてそんなときに思う。いいんだ。こうやってここまで来たんじゃないか。毎回毎回これが最後かもしれないと覚悟を決めながらやって来たじゃないか。 あせるな、あせることはないのだ。どう足掻いたって、やれることの範囲はすでに決まっている。やれるところまでを充分にやろう。いいんだ。それでいいじゃないか。 るりるりさんへ、 心を落ち着かせて空を見上げると、またひとつ違った世界が見えてきます。宇宙は絶えず動き、万物は流転する。季節が移り変わる必然に、僕もその仲間の一員であることに気づかされ、何かの安らぎを得られます。 僕もるりるりさんが日々安穏(あんのん)であることを祈っています。僕たちはつながっています。 またいつでもメールを下さい。 てりー
共同文化社 N (月曜日, 10 3月 2014 18:45)
ご無沙汰しています。札幌も春がすぐそこという暖かさから、冬に逆戻りしている昨今です。 やりたいことがたくさんある中田さんには、今の状況は切ないだろうなと案じています。でも、きちんと自分を見つめて、このままでいいんだといえるところが中田さんらしいところですね。 思い通りにならないもどかしさも、関節の痛みも耐えるしかないつらさは、残念ながら想像も及びません。わかるなんて言ったらかえって失礼だと思いますし…。 ただただ、早く春が来て暖かくなって、痛みが緩和されて、中田さんが少しでも動きやすくなることを祈るのみです。 中田さんは自分に負けない人だから、また、不屈の魂で、ゆっくりでもやりたいことをやり続けるのだと思います。 元気に再会できる日をお待ちしています。 5月の札幌、暖かいといいですね。
中田輝義 (火曜日, 11 3月 2014 06:30)
共同文化社 Nさんへ、 おはようございます。 札幌からのあたたかい励ましのお便り、ありがとうございました。 胸に染みます。 お知らせ。 札幌の「NPO法人 難病支援ネット北海道」代表の伊藤たておさんにお願いをして、理事会でも賛同を受けて、写真展「熊野の郷・雲」札幌展の主催を了承してもらいました。これで中田輝義の一個人の写真展から、「NPO法人 難病ネット支援北海道」の活動の一環としての取り組みになります。このあと、北海道難病連や北海道社会福祉協議会の後援賛同もお願いすることになっています。 これで対外的にも個々の障害者・難病患者だけでなく、DPI北海道会議や自立生活センターなどの他の障害者団体に、そして広く札幌市民にも写真展案内を進められる母体ができました。 また札幌のテレビ・新聞報道に取材依頼の強力な条件が整ったことになります。僕はこれらの準備(各方面のあいさつまわり・チラシ・ポスターづくりも含めて)のために、本番前の4月中旬に一度札幌に帰る予定をしています(飛行機です、苦笑中)。 僕は、伊藤たておさんが主催を引き受けて下さったときに、これで札幌展は、” 成(な)った! “ と感じました。 僕の今のもどかしさは、5月の札幌展の終わった後のことです。その後に何もない。何もすることがない。それが怖い、虚しい。 僕はもう一度、初心・原点に立ち返って、はたして僕はこの後どうやって生きていくのか。何をしようとしているのか。何をしたいのか。それを考えなければならない。 共同文化社 Nさんへ、 人は、己(おのれ)の初心・原点をもう一度見つめ直すことは、とてもエネルギーのいるものですね。 僕は今から、札幌展が終わった後のためにやっておかなければならないこと、準備を始めなければならないことがあるのに、それなのにまだその気力・体力・集中力が身体の芯から沸き上がってきていないのです。 そして僕はこんなときに、こんなにも傲慢なことを考えています。 こんな僕でも、もし『 天 』が、これまでの僕と僕の心根を見定めて、まだ役に立つとお思いならば、きっと僕にあらたな仕事と役割を与えて下さることだろう。僕はその仕事と役割を果たせるに足る人間であるように、日々、自分自身を見つめよう。 僕は、「電動車イスひとり旅」本の最終ページの「あとがき」欄に、こう書き記しました。 ” 今回の「旅」で学んだことを真摯に受け止めれば、次の「旅」が見てくる。それが一年先か五年後か、それは分からない。ただ真っ白な気持ちで五感を研ぎ澄ましていれば向こうからやって来る。それが自分に捉えられるかどうか。捉えられたときが「必然の時」だと思う。 ” 僕は、いつまでも『 天 』が仕事と役割を与えて下さる存在でありたいと願っています。 共同文化社 Nさんへ、 朝一番からまたいつもの僕の悪いクセが出てしまって、斯くもグダグダと長話をしてしまいました。ゴメンナサイ! もう焼かなければ治りませんね、大苦笑!! 札幌で再会いたします。 中田輝義 拝 追伸:南2西10金富士の牛すじ煮込と、南3西1福鳥のやきとりをお腹いっぱいに 食べたいです、えっへへへ! 大ヒンシュク!
髙橋雅之 (月曜日, 07 4月 2014 23:58)
札幌で待ってます。先日、佐藤さんとJRPの写真展に行って来ました。若い人たちガンバッテました。中田さんの写真展楽しみにしています。
中田輝義 (火曜日, 08 4月 2014 11:26)
高橋雅之へ贈る言葉 コメントを拝受しました。 ありがとうございました。 僕は、あなたが、北海道新聞社で刊行された「こんな夜更けにバナナかよ」本のなかで、亡くなった筋ジストロフィー患者の鹿野靖明の最後の姿と生きざまを綴った写真の数々を、忘れていません。 また、あなたが僕の写真集「カトマンズ・リポート」を観て、僕との付きあいをはじめてくれた感激を、今でも忘れていません。 でもそれ以降の写真は、見せてもらっていません。もし今、新しいテーマの写真を取りためているのであれば、ごめんなさい。 JRP(日本リアリズム写真集団)札幌支部の写真展を観て、” 若い人たちガンバッテいました ” の感想には、「うらやましいのに遠巻きで見ているだけ」という高橋雅之の言葉の気分が感じられました。これも僕の穿(うが)った見方で失礼なことなら、謝ります、ごめんなさい。 僕には、写真作家高橋雅之が、故鹿野靖明の人生の重荷に写真で関わってしまったことから、未だに抜け出せずいると思えてなりません。それは僕自身、寝たきり老人や独居老人の、あとは死を待つばかりの人生最後の姿を写真取材してきたから、あなたの気持ちは良く理解できます。僕もその重荷から長く抜け出せないでいました。 でも、新しいテーマの写真に取り組むということは、これまでの自分の中の何かを切り捨て挑むという作業です。これまでの自分の有りようから苦しみを乗りこえていくという作業です。日常に埋没していたのでは創作表現は成り立ちません。 「中田さんの写真展楽しみにしています」なんて、そんな他人行儀で、遠巻きで見ているような姿勢ではダメです。写真展の準備から展示方法から企画している写真合評会のすすめ方まで、札幌展に積極的にかかわって下さい。 これはけっして、中田輝義を助けることではなく、高橋雅之自身を救うことになると思います。一緒に、「熊野の郷・雲」札幌展を取り組む中で、高橋雅之の写真に対する熱い思いをもう一度沸(たぎら)す機会になれば、こんなにうれしくて光栄なことはありません。 あなたの気分を害してしまって、怒らせてしまって、こんな奴(ヤツ)! もうこれで中田輝義との付きあいを辞める、そう言われるかもしれないと思いながら、僕の勝手な思い込みと思いながら、でも生涯の友だちにエールをささげるために、気魂を込めて書き上げました。どうかご判読下さい。 写真展準備のために4/17(木)〜4/24(木)まで、札幌に帰ります。宿泊はいつもの難病センター(011ー512ー3233)です。 再会を心から楽しみにしております。 ありがとうございました。 中田輝義 拝
フォトギャラリー作品追加
(日, 21 7月 2013)
ホームページ完成
(木, 14 6月 2012)
ホームページ作成開始
(水, 6 6月 2012)
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fumifumi (水曜日, 26 2月 2014 13:06)
生き方に決まりはない
まじめに、人様に迷惑を掛けないように、生きなさい
と
両親は教えてくれた
でも人と関わらない人生なんて無いだろう
だからこれからも周りに迷惑を掛けながら生きていく
中田輝義 (水曜日, 26 2月 2014 20:45)
fumifumiさんへ、
僕の独白のような一文にレスポンスをいただき、
ありがとうございました。
てりーはい
るりるり (木曜日, 06 3月 2014 17:48)
日増しに強くなる 痛みとしびれに恐怖を抱き
家族でさえ どうしたらいいか わからず
ワタシは独りで 限界に達する直前まで、正体不明の病気に翻弄されました。
そんな昨年秋。テリーさんのコトバに 何度も救われました。
テリーさんのコトバがなかったら 今の流れに乗れていなかったと思います。
本当に感謝しています。
現在も 開業医の先生の所へ通いながら治療を続けています。
痛みは 緩和されてきました。その分、お薬の副作用も強いので
今はお家の中で過ごす生活へ 切り替えましたが、納得しています。
空を見ると テリーさんとおそろいのキモチになれます。
日々、テリーさんのお具合を 案じています。
今日も つながっていてください。
るりるり
中田輝義 (金曜日, 07 3月 2014 14:52)
るりるりさんへ、
コメントを拝受・拝読しました。
ありがとうございました。
今、ここ、熊野の郷を取り囲む山々の風景は、三月の陽光に照らされて、木々の先の新芽が芽吹きはじめ、遠目に見ると山全体が淡白いうす緑色に変わってきています。待ちに待った春の訪れを告げているのでしょうか。
でも、いったん暖かい日がつづいてまた冬の寒さに逆戻りすると、僕の体調には追いつかず、身に堪えます。
北国ではもうフクジュソウは咲き始めているでしょうか。雪解けの湿地ではヤチブキの花が見れるでしょうか。うす暗い沼地にひときわあでやかに咲き誇るこれらの黄色い花びらは、目に痛いほどの鮮烈な光彩を放ち、それはまるで、長い冬のあいだ、雪の下でじっと寒さに耐えてきた生命力を、一気に大空に向けて解きはなっているようです。
同じように蕗の薹(フキノトウ)も雪の下で丸いかわいらしい蕾(つぼみ)ふくらませて春の準備をしていることでしょうか。
北国で先ず一番に春が来たなと教えてくれるのは、こぶしの木の白い花が咲き始めたときでしょう。ここ熊野の山々にもこぶしの木の白い花を咲かせます。今年もなんとか冬を乗り切った。
山の中腹あたりにちらほらと白い花を咲くのを眺めていると、本当になつかしくて、うれしくて、ありがたい気持ちにされられます。
フクジュソウとヤチブキが森の妖精なら、白いこぶしの花は山の精霊なのでしょうか。
この世界はこのように天然・自然の理に従って動いている。
そして季節は移り変わる。
移り変わるのが当たり前なのに、僕は季節の変化に順応できないでいる。気分としてまるで季節の変化に翻弄されているかのように、その日のお天気次第で体調がころころと変わる。筋肉が動きづらく全身の関節炎が痛くて、倦怠感と脱力感で室内温度が上がる昼近くまでベッドから起き上がれない。くそ面白くない。
”あれ”をやっておかなれけば。”これ”の準備もしなれれば。ああもしたいし、こうもしたい。それらがみんな思い通りにならないもどかしさ。遣り残したままで逝くのなんて絶対にイヤだ。でも身体も気力もついていかない。クソッタレだ。
でもこんなときに思う。年を取ること、老いること。だんだん出来なくなることが増えること。これも天然・自然の摂理だ。しかたがない。受け入れるしかないんだ。
そしてそんなときに思う。いいんだ。こうやってここまで来たんじゃないか。毎回毎回これが最後かもしれないと覚悟を決めながらやって来たじゃないか。
あせるな、あせることはないのだ。どう足掻いたって、やれることの範囲はすでに決まっている。やれるところまでを充分にやろう。いいんだ。それでいいじゃないか。
るりるりさんへ、
心を落ち着かせて空を見上げると、またひとつ違った世界が見えてきます。宇宙は絶えず動き、万物は流転する。季節が移り変わる必然に、僕もその仲間の一員であることに気づかされ、何かの安らぎを得られます。
僕もるりるりさんが日々安穏(あんのん)であることを祈っています。僕たちはつながっています。
またいつでもメールを下さい。
てりー
共同文化社 N (月曜日, 10 3月 2014 18:45)
ご無沙汰しています。札幌も春がすぐそこという暖かさから、冬に逆戻りしている昨今です。
やりたいことがたくさんある中田さんには、今の状況は切ないだろうなと案じています。でも、きちんと自分を見つめて、このままでいいんだといえるところが中田さんらしいところですね。
思い通りにならないもどかしさも、関節の痛みも耐えるしかないつらさは、残念ながら想像も及びません。わかるなんて言ったらかえって失礼だと思いますし…。
ただただ、早く春が来て暖かくなって、痛みが緩和されて、中田さんが少しでも動きやすくなることを祈るのみです。
中田さんは自分に負けない人だから、また、不屈の魂で、ゆっくりでもやりたいことをやり続けるのだと思います。
元気に再会できる日をお待ちしています。
5月の札幌、暖かいといいですね。
中田輝義 (火曜日, 11 3月 2014 06:30)
共同文化社 Nさんへ、
おはようございます。
札幌からのあたたかい励ましのお便り、ありがとうございました。
胸に染みます。
お知らせ。
札幌の「NPO法人 難病支援ネット北海道」代表の伊藤たておさんにお願いをして、理事会でも賛同を受けて、写真展「熊野の郷・雲」札幌展の主催を了承してもらいました。これで中田輝義の一個人の写真展から、「NPO法人 難病ネット支援北海道」の活動の一環としての取り組みになります。このあと、北海道難病連や北海道社会福祉協議会の後援賛同もお願いすることになっています。
これで対外的にも個々の障害者・難病患者だけでなく、DPI北海道会議や自立生活センターなどの他の障害者団体に、そして広く札幌市民にも写真展案内を進められる母体ができました。
また札幌のテレビ・新聞報道に取材依頼の強力な条件が整ったことになります。僕はこれらの準備(各方面のあいさつまわり・チラシ・ポスターづくりも含めて)のために、本番前の4月中旬に一度札幌に帰る予定をしています(飛行機です、苦笑中)。
僕は、伊藤たておさんが主催を引き受けて下さったときに、これで札幌展は、” 成(な)った! “ と感じました。
僕の今のもどかしさは、5月の札幌展の終わった後のことです。その後に何もない。何もすることがない。それが怖い、虚しい。
僕はもう一度、初心・原点に立ち返って、はたして僕はこの後どうやって生きていくのか。何をしようとしているのか。何をしたいのか。それを考えなければならない。
共同文化社 Nさんへ、
人は、己(おのれ)の初心・原点をもう一度見つめ直すことは、とてもエネルギーのいるものですね。
僕は今から、札幌展が終わった後のためにやっておかなければならないこと、準備を始めなければならないことがあるのに、それなのにまだその気力・体力・集中力が身体の芯から沸き上がってきていないのです。
そして僕はこんなときに、こんなにも傲慢なことを考えています。
こんな僕でも、もし『 天 』が、これまでの僕と僕の心根を見定めて、まだ役に立つとお思いならば、きっと僕にあらたな仕事と役割を与えて下さることだろう。僕はその仕事と役割を果たせるに足る人間であるように、日々、自分自身を見つめよう。
僕は、「電動車イスひとり旅」本の最終ページの「あとがき」欄に、こう書き記しました。
” 今回の「旅」で学んだことを真摯に受け止めれば、次の「旅」が見てくる。それが一年先か五年後か、それは分からない。ただ真っ白な気持ちで五感を研ぎ澄ましていれば向こうからやって来る。それが自分に捉えられるかどうか。捉えられたときが「必然の時」だと思う。 ”
僕は、いつまでも『 天 』が仕事と役割を与えて下さる存在でありたいと願っています。
共同文化社 Nさんへ、
朝一番からまたいつもの僕の悪いクセが出てしまって、斯くもグダグダと長話をしてしまいました。ゴメンナサイ! もう焼かなければ治りませんね、大苦笑!!
札幌で再会いたします。
中田輝義 拝
追伸:南2西10金富士の牛すじ煮込と、南3西1福鳥のやきとりをお腹いっぱいに
食べたいです、えっへへへ! 大ヒンシュク!
髙橋雅之 (月曜日, 07 4月 2014 23:58)
札幌で待ってます。先日、佐藤さんとJRPの写真展に行って来ました。若い人たちガンバッテました。中田さんの写真展楽しみにしています。
中田輝義 (火曜日, 08 4月 2014 11:26)
高橋雅之へ贈る言葉
コメントを拝受しました。
ありがとうございました。
僕は、あなたが、北海道新聞社で刊行された「こんな夜更けにバナナかよ」本のなかで、亡くなった筋ジストロフィー患者の鹿野靖明の最後の姿と生きざまを綴った写真の数々を、忘れていません。
また、あなたが僕の写真集「カトマンズ・リポート」を観て、僕との付きあいをはじめてくれた感激を、今でも忘れていません。
でもそれ以降の写真は、見せてもらっていません。もし今、新しいテーマの写真を取りためているのであれば、ごめんなさい。
JRP(日本リアリズム写真集団)札幌支部の写真展を観て、” 若い人たちガンバッテいました ” の感想には、「うらやましいのに遠巻きで見ているだけ」という高橋雅之の言葉の気分が感じられました。これも僕の穿(うが)った見方で失礼なことなら、謝ります、ごめんなさい。
僕には、写真作家高橋雅之が、故鹿野靖明の人生の重荷に写真で関わってしまったことから、未だに抜け出せずいると思えてなりません。それは僕自身、寝たきり老人や独居老人の、あとは死を待つばかりの人生最後の姿を写真取材してきたから、あなたの気持ちは良く理解できます。僕もその重荷から長く抜け出せないでいました。
でも、新しいテーマの写真に取り組むということは、これまでの自分の中の何かを切り捨て挑むという作業です。これまでの自分の有りようから苦しみを乗りこえていくという作業です。日常に埋没していたのでは創作表現は成り立ちません。
「中田さんの写真展楽しみにしています」なんて、そんな他人行儀で、遠巻きで見ているような姿勢ではダメです。写真展の準備から展示方法から企画している写真合評会のすすめ方まで、札幌展に積極的にかかわって下さい。
これはけっして、中田輝義を助けることではなく、高橋雅之自身を救うことになると思います。一緒に、「熊野の郷・雲」札幌展を取り組む中で、高橋雅之の写真に対する熱い思いをもう一度沸(たぎら)す機会になれば、こんなにうれしくて光栄なことはありません。
あなたの気分を害してしまって、怒らせてしまって、こんな奴(ヤツ)! もうこれで中田輝義との付きあいを辞める、そう言われるかもしれないと思いながら、僕の勝手な思い込みと思いながら、でも生涯の友だちにエールをささげるために、気魂を込めて書き上げました。どうかご判読下さい。
写真展準備のために4/17(木)〜4/24(木)まで、札幌に帰ります。宿泊はいつもの難病センター(011ー512ー3233)です。
再会を心から楽しみにしております。
ありがとうございました。
中田輝義 拝