『熊野の郷・雲』写真展が、2014年(平成26年)5月19日(月)~ 5月25日(日)まで、札幌市中央区北1条西13丁目にある札幌市教育文化会館4Fギャラリーにおいて開催することが決定しました。
札幌で写真展を開催するのは、1985年に札幌市民ギャラリーで「中田輝義写真作品展」を開催して以来、実に29年ぶりで、今少なからず興奮しております(笑い)。
『熊野の郷・雲』写真展を札幌で開催することは、2012年に広島市民交流プラザで写真展を計画をしていたのと同時に、” これは札幌でもやろう ” と心に決めていました。
札幌開催にあたっては、札幌のギャラリーの場所、地の利、規模、使用時間、使用料金などをインターネットで検索して札幌市教育文化会館ギャラリーに決めましたが、使用申し込みが1年前から受け付けることになっていて、それで開催が来年の5月19日になりました。
申し込みには札幌市教育文化会館の指定管理者である(公財)札幌市芸術文化財団のちょっとした審査を受けなければならず、ようやくこの7月10日付けで使用承認書が僕のもとに送られてきました。そのときはあらためて、武者ぶるいを起こしてしまいました(苦笑)。
使用申し込みの時に書類添付した調査書をご紹介します。
調査書に付け加えるものとして
札幌市教育文化会館
管理課 御中、
中田輝義 拝
広島県安芸郡熊野町・・・・・
この度は札幌市教育文化会館ギャラリーの使用につき、お世話をおかけいたします。
使用予定日は、2014年(平成26年)5月19日~25日です。よろしくご指導をお願い申し上げます。
今回の使用目的は、「中田輝義写真展『熊野の郷・雲』」の開催のためです。僕個人と、写真展の概要をお知らせするため、資料を数紙添付しました。日常勤務のお忙しい中、恐縮ですがよろしくご一読をお願いいたします。
「熊野の郷・雲」展の内容については、僕のホームページ「 terry’s room 」、
アドレスは、http://terrys-room.jimdo.com/ の、フォトギャラリー・コーナーと、terry’s Blog コーナーの、過去全部より、2012・7・02 付け ”「熊野の郷・雲」写真展を終えて” に、詳細に掲載しております。ご面倒ですが合わせて閲覧していただければ幸いです。
今回の札幌市教育文化会館での写真展開催に、なぜ唐突にも広島県在住の僕が札幌で行うのか、いぶかしげに思っておられることと拝察します。
僕はかつて、札幌市内に写真事務所を置くフリーのプロカメラマンでした。(財)北海道難病連や北海道社会福祉協議会などの依頼を受けて、札幌を中心に道内の身体障害者や難病患者の写真取材に担っておりました。
1980年から始まった「国際障害者年」に写真取材したものも含めて、それまでの僕の写真活動をまとめる「中田輝義写真作品展」(1985年4月・札幌市民ギャラリー・ モノクロ写真B3サイズ、200点)を開催したこともありました。
そのような折、僕は重症筋無力症を発症してしまい、やむなく北海道での写真活動を断念し実家のある広島市内に帰らざるをえないことになりました。
広島大学医学部付属病院で拡大胸腺摘出の手術を受けて、長期の入院と自宅療養生活。その間、上下両下肢の体幹機能障害により日常的に車イスを使用する生活となり、身体障害者手帳1種1級が交付されました。
身体障害者・難病患者をテーマにした写真を撮っていたのに、今度は僕自身が難病患者で身体障害者になるなんて。何という運命のめぐりあわせか。自宅に引きこもり長い療養生活が始まりました。
しかしその後も僕は、「国際障害者年」当時に取材で知り合った障害者たちと写真を離れても付きあいがあり、”自分の障害に負けないでかんばろう!”と話していたのに、当の自分が障害者になったときにへこたれていたのでは申し開きができない。会わせる顔もない。自分の撮った写真に嘘をつくことになる。
そう決心して、僕の広島の自立生活の中でも、いまの自分にできることをやろうと思い、「電動車イスひとり旅」ー広島県熊野町から札幌まで1830kmー(2007年)や、広島市民交流プラザでの写真展「熊野の郷・雲」(2012年)などに取り組んできました。
今回、「熊野の郷・雲」写真展を札幌市教育文化会館ギャラリーで開催するコンセプトは、かつて札幌で親交を結んでいた写真仲間・友人知人や障害者の人たちに、僕が障害のある身体になってもめげずに、車イスでも撮影できる写真に取り組んでいる姿を見てもらって恩返しにしたいということ。
あわせて、広く札幌市民の人たちに、僕のように人生の中途から車イスの障害者になっても、次の生きがいや夢を持って生きていることを伝えたい。いまの世の中で何かツライことやストレスを抱えながら生きている健常者の人たちを励ましてあげたい。このような思いで札幌の地で開催することを決意しました。
障害者に対する理解を深めてもらうためにも、札幌市教育文化会館での「熊野の郷・雲」写真展が少しでも何かのお役に立てば、僕にとってこれほど光栄なことはありません。
なにとぞ格段の配慮をたまわり、あたたかいご支援とご指導をよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
中田輝義、拝。
2013・7・01 記
いま僕は、写真展とともに、また札幌に里帰りできることに心うきうきしています。
でもいま僕は、広島の熊野町の雲の写真を、札幌の友人知人、写真仲間、障害者の仲間たち、それに札幌市民の人たちにどう理解してもらうか、どうすれば共感してもらえる写真展にすることができるか。どのように準備を進めるか。そのアレンジメントに四苦八苦、頭を痛めております。
何度か札幌に行かなければならないことになります。ご安心ください。そのときは電動車イスではなく、飛行機で帰ります。くすっ、いっひひひ!
遠隔の地での写真展開催と僕の身体的条件を考えれば、いろいろな困難もあると思っていますが、でもこれはこれできっと楽しいこと。うれしい苦しみであり、ツライ喜びなのでありましょう。後になって、ああ、楽しかったな、無理をしてでもやってよかったなと、思えることでしょう。
開催までの1年間、ああでもない、こうでもない、これはどうだろうかとアイデアを考えて、きっと退屈しませんね、あっははは、大笑い!
いつもながらの事前通告で、自分勝手に今からテンションをあげてしまって、これから札幌の皆さま方にはご迷惑をおかけしたり、いろいろご協力をお願いしなければならないことになると思いますが、毎度の中田輝義のことだからとあきらめてもらって(大苦笑)、よろしくご援助をお願い申し上げます。
ありがとうございました。
中田輝義、拝。
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えみちゃん (日曜日, 21 7月 2013 18:56)
札幌で写真展をひらくそうですね。来年ですか。おめでとうございます。
広島での写真展を見に行きました。そのあと「電動車イスひとり旅」を読みました。
今度は飛行機でいくんですね。お元気で頑張ってください。
中田輝義 (月曜日, 22 7月 2013 09:35)
快傑えみちゃんねるのM・えみこさんでしょうか?(笑い)
お久しぶりでした。
メールをありがとうございます。
えみこさんの創作活動はいかがですか?
精進しておられることでしょうね。
「電動車イスひとり旅」本を読んでいただいたそうで、
ありがとうございます。
もしよかったら、感想をお聞きかせ願えればうれしいです。
待っています。
盛夏本番、熱中症と体調管理にご養生下さいネ。
テリー、 拝。
共同文化社 長江 (金曜日, 02 8月 2013 08:57)
中田さんだから、構想をうかがった時から、必ず札幌で写真展を開くのだろうなと思っていましたが、実現するのですね。
具体的な日程も決まったので、これからが準備にいろいろと大変になると思いますが、作品ともども中田さんの新境地にお目にかかれることを楽しみにしています。
暑くもなく寒くもない時期なので、最適な気候のもと開催されるのは何よりです。ご活躍をお祈り申し上げます。
暑い毎日が続いているようですので、どうぞお体ご自愛ください。
中田輝義 (金曜日, 02 8月 2013 11:16)
長江ひろみさんへ、
メールをありがとうございました。
札幌で行った「電動車イスひとり旅・出版記念祝賀会」の席上で、
集まってもらったみなさんを前に、
「(文章の)本は出版したけれど、元をただせば写真屋さん。
もう一度モノクロ写真に戻ります」 と、
宣言と約束をしたことを、ようやくはたせそうです、えっへへへ(小笑)!
新境地と言えるほどのものは、何もないのですよ〜。
ただ、あんまりぐだぐだ、小さいことに、こだわりがなくなってきた。
もうここまで来たら、ハダカで、いいじゃないかっ!って、思えるようになってきた。
思いっきり、恥をかこう! これが中田輝義なんだ。と、
いい意味か、悪い意味か、判断もつかないのだけれど、
開き直れるようになってきた。
そんなふうに思えるのも、やっぱり、
「電動車イスひとり旅」があったればこそなんですね。
札幌で再会できることを心から楽しみにしています。
ありがとうございました。
中田輝義 拝
えみちゃん (水曜日, 07 1月 2015 12:22)
はい。怪傑えみちゃんねるの司会者と異姓同名(^0^)/"今年もぼちぼちしか訪問しない読者ですが、宜しくお願い致します。
創作活動と言われると嬉し恥ずかし…。だけど自信がもてますわ。ありがとうございます。
その後、あのご本はわが町の図書館に寄贈。熊本でも読まれていますよ〜。
なにしろ感動とツッコミどころと色々で、泣かずに読めなかったり、ぷぷっと笑ったりもしました。それで、ぜひ他の人にも読んでもらおうと図書館に行った次第です。
感想は、なかなか書ききれなくて(^^;…。長くなりますから、ぼちぼちと読んでくださいますか。
現在の私は、リウマチその他で闘病中ながらも、薬と先輩から授かった知恵のお陰さまでライフワークを持ちたいと思えるようになっています。
唐突に歩けなくなっていく時期には、まわりに迷惑と心配をかけました。
それでも惜しまず援助してくれた人には心から感謝しているんです。
しかしそのときに体験した出来事というのは、その人たちが目にした事以外のほうが沢山あって。
その部分がドバーっと書かれてあるのを読んでしまったわけです。
ああ、こんなこと書いちゃってるし~ってツッコミながら読んでいましたよ(^。^道中の様子にハラハラするんだけど、痛快な気分にも。
とにかく「言っていいんだ」というのが胸に残りました。
(つづく)
えみちゃん (水曜日, 07 1月 2015 12:23)
(つづき)
そして自分を振り返ると、相手を悲しませたくなくて黙っていたというより、認知して自分がより落ち込むのが怖かったんだなという思いが見つかりました。
すると、またひとつの感想が→「やろうと決めたら方法を思案すればいいんだ」とうものです。
理解してほしいけど、わがままかなー。そういう気持ちが起きるのは、同病の方に限らず闘病記を読んでいて、本当に頻繁に目にします。
いつも「私がいけないから」「私ががんばれば」という自分を責める思考ですね。
相手に変化を求める時のほうが労力が大きいからかもしれません。一日を終えるだけでも疲れるのだから、徒労におわると元気が抜け落ちたようになりますわ(ーー。
しかし、読後の今は、ちょっと違っていて、元気に火をつける何かをもらったように感じています。
やろうと決めたら方法を!そうだな、方法が間違っていたのかも。時期を謝ったかも、というふうに。
感想は以上です。ああ、ほんとうに長く書いているわ。読み終えて、お疲れさまでした。
ことしも良い年になりますように☆
中田輝義 (金曜日, 09 1月 2015 12:07)
快傑えみちゃんねるさんへ(笑)へ、
コンタクトメールをありがとうございました。お久しぶりでした。
メール文から想像するに、お身体にはいろいろと不都合があっても、心は健康でお元気そうなご様子、安心しました。
ビックリしました!?
長い間の音信不通もさることながら、2015ブログ「新年のごあいさつ」からの返信ではなくて、2013/7/14「写真展札幌開催決定」文に引き続いての送信で、しかも2回に渡った長文メールで。おどろきました(笑い)!
えみちゃんさんには「電動車イスひとり旅」本を読んでもらっているのならすでにご承知だと思いますが、最初に旅の計画をまわりの人たちに話したとき、僕のような難病患者で一種一級の身体障害者が札幌までサポートも付けず電動車イスでひとり旅をすることに、無謀だ暴挙だ! 死ぬ気か!? と猛烈に反対されました。でも僕には大丈夫だ、やれる!という密やかな自信があったのです。
何よりも僕は香西智行さんと会って病気のお見舞いをしたかったし昔話しもしたかったし。僕自身もこの挑戦でこれからを生きていく勇気とエネルギーを得たかったのです。僕は無事札幌に到着をしての旅は成功しました。この体験から学んだことは僕の身体の血となり肉となり、今でも僕の心の中で脈々と息づいています。
難病患者や身体障害者は夢や希望などのご託を並べていないで、まわりに迷惑をかけないように家でジッとしていなさいという世間の考えかたに反抗してきました。
常識なんかクソッタレ!です。
この度の快傑えみちゃんねるさんのコンタクトメールの書き込みも、「常識なんかクソッタレ!」の典型の一つですね、あっははは! 楽しいーっ! 大笑い!
(つづく)
中田輝義 (金曜日, 09 1月 2015 12:11)
(つづき)
このように過去にさかのぼるような形でコンタクトメール交信をしていても、今さら誰も気付くわけでもないし、そう思えばこんなやり方って、ある種痛快ですね、くっくっく、苦っ苦っ苦っ(苦笑中)、オモシロイ。
ライフワークをお持ちになるつもりという考え方。大賛成です。人は心の中に覇気を持って生きていれば、又一つ違った世界が見えるし、新たな視野も広がってきますね。いろいろな可能性も得ることが出来ます。
手前味噌なんですが、いま僕は2014ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんの自伝書、「わたしはマララ ー 教育のために立ちあがり、タリバンに撃たれた少女」を読んでいます。あわせて同時に英語版の「 I Am Malala - The girl who stood up for education and was shot by the Taliban 」も読んでいます。英語の再度の勉強し直しもかねています。
僕は生きているうちにもう一度海外に行きたい。いま世界はどのように動いているのか? 肌で感じてみたい。もっとグローバルな視点で見聞を広めてみたい。でもその時は手動車イスでサポート付きです(テレ笑い)。
難病患者・身体障害者が、ああもしたい、こうもしたい。こう生きたい、こう在(あ)りたいと願えば願うほど、支援してくれる人が必要となりますね。言わば誰かに迷惑をかけなければ何も出来ないわけです。そして迷惑をかければかけるほど、難病や障害を持って生きるということはどういうことか、相手に知ってもらえるということになります。また、助けて下さい、迷惑をかけさせて下さいとお願いして、別の言い方でドス(短刀? すごみのある言葉?)を突き付けられた相手のお方は、さてどうしようか?と考えるうちに、自分自身の人間性についても考えざるを得なくなるわけです。こんな滅多に出来ないお勉強は、相手のお方のためでもあるんです、かっかっか! 大傑作!!
相手のお方を変わらす、変わってもらう。それは自分の身の回りの小さな社会を変えることにもつながる。それだけ生きていくことが楽になる。少しずつ、少しずつ、ゆっくりと、ゆっくりと。
どうか新たなライフワークにご精進下さい。広島からではあるけれど、応援しています。
このブログのコンタクトメールでも良いし、長文になるようならば terry@ann.ne.jp 宛てにでも、気が向いたときにメールを下さい、待っております。
中田輝義 拝
えみちゃん (日曜日, 11 1月 2015 13:45)
ビックリさせたそうで、すみません。しかし愉快に受け止めてもらえた様子で良かったです。懲りずにココに返信してみました(^0^)
今はマララさんの本を読んでいる最中かもしれませんね。テリーさんのコミュニケーション能力で英語圏のみならず、どこへでも飛び立ってくれるような気がしています。
アドレスのお知らせも有り難うございます。目標を持てば挫折する時もあるわけで、このさき送る日が来るでしょう(^^宜しくお願いします。
中田輝義 (月曜日, 12 1月 2015 13:44)
えみちゃんさんへ
返メールをありがとうございました。
「目標を持てば挫折する時もあるわけで、このさき送る日が来るでしょう」
このえみちゃんさんの言葉の持つ意味にいろいろと考えさせられています。
僕にはひとつ、若い心から心に抱き続けている思いがあります。それは、
” 苦労した分だけ、努力した分だけが報われる ” です。
人は誰でも辛いことや悲しいこと、壁に突き当たって八方ふさがりに苦しみことなんかしたくないですよね。出来れば避けたいことだし、楽に生きられる方が絶対にいい。でも人は挫折することもなく生きていけることなんか絶対にあり得ませんよね。
人は挫折感や絶望感を味わったときに、何故そうなったかその理由を知ろうとする。失敗に真っ向から向き合おうとすれば、否が応でも掛け値のない自分自身の正体をさらけ出すことになる。そんな無様でカッコ悪い自分なんて目を背けたい。それがイヤだから自分の失敗をまわりのせいにして、悪いことだと知っていてもついつい何かれ構わず八つ当たりしてしまう。まわりから孤立してさらなる絶望感や挫折感を味わうことになる。そこから抜け出す出口も見つからない。
でも反面、それは自分自身の欠点や至らなさに気づける絶好の機会なのかもしれない。失敗から学ぶことは多い。自省反省が人を成長させる。
「 艱難辛苦(かんなんしんく)、汝を玉(ぎょく)となす 」
という言葉があります。いくら素晴らしい原石でも磨かなければ宝石にはならない。
人の一生は一回こっきり。一升(一生)五合にも二升にも増やせない。なんて、最後に気の利いた台詞(せりふ)で閉めるつもりだったのに、とんだところでスベっちゃいましたね!? ハズカシイ・・・・
二度はないそんな大切な一生をどう生きるか。考え方も行いも人それぞれ。何が正しくて何が悪いか。とてもじゃない一言なんかで言えない。自分の意見考えを人に押しつけることも出来ない。
えみちゃんさんの言葉から触発されて、自分勝手な思いをダラダラと書いてしまって、ゴメンナサイっ!
また気が向いたときにでもメールを下さい。
心も身体もすこやかで在られますように。
テリー 拝